㉚より続く
しかし、そうした「タスクの明確化」と「指揮系統の確立」という動きにほとんど関わってこなかった川上の復活以降の動きは、良くも悪くも、必ずしも“新しいやり方”に沿ったものではなかった。
そしてそれは、川上不調時、自分の城を抜け出してピンチヒッターとして管理を一手に担ってきた兼松からすると、素直に良しと思えないのは当然の流れだったとも言えるだろう。
川上復活以降、工場の動きが再び見えづらくなってしまったというのも、非常にわかりやすい危険信号であり、“兼松の怒り”を買う大きな要因となった。
さらにもう一つ挙げるのであれば、不調時に指揮を託した兼松やその他の関係者に対して、本来ならば一言あって然るべきところ、残念ながら川上から“筋を通す”様子が見られなかったのだ。
そのため、不調時の消極的な態度から一転して、これはあくまで見方によればだが、復活した川上が”筋も通さずにのうのうと”管理者として振る舞っている姿は、もちろん復活自体は良い事ではあるものの、心情的には素直に良しと言えない側面もあったというわけだ。
故に、兼松と川上には“大きく深い溝”が発生していた。
そして、互いに不毛な距離を取り合うという最悪な状況が生まれていたのである。
これは、ひとえに一時的なバランスを取るための偏った采配を続けていた、私自身の責任が大きいところだ。
そういうわけで、川上、兼松に淡路を加えた三人に、私の思う真意について話をさせてもらうことにした。
兼松に対しては、怒る気持ちは理解できるが、管理者として最優先すべき事は、あくまで組織としてスムーズに生産が流れる事であり、感情論はさておき、プレーヤーのパフォーマンスを最大限に活かす事が最重要であるという事を伝えた。
怒りのあまりか、態度で距離を取るという方法は、その真意にどう正しい理屈があったとしても、組織にとってマイナスにしか働かないのであって、円滑な生産を確保した上で、話し合いで“理”を伝えるべきだという事だ。
また、川上に対しては、一連の流れや態度が“外”からはどの様に見えていたのかを、率直に伝えさせてもらった。
その上で、復活は大変喜ばしいが、従来の不透明なやり方でなく、道半ばであるもののせっかく改善に向かったタスクの透明化の流れに沿って、兼松と話し合いながら進めてほしいと依頼した。
両人とも、話は理解していた。しかし解りきった事ではあるが、正論で丁重に話をすれば解決するほど、人間関係の問題というのは単純なものではないのだ。
その後すぐ、話し合いがなされていない個別の事案による問題が勃発したのである。
そして遂に、当事者三名に対して、“私が怒る”という事態になった。
次回
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