トムさんのいなくなった工場は、しばらくの間は川上の管理の下、順調に稼働しているように見受けられた。
しかし、残念な事にこの平穏は“束の間”のものとなった。
というのも、トムさんの弟であるゴックさん以外の職人達は、トムさんが未払いにしていた給料について相当な不満を持っていたのだ。
更に悪い事に、年配のスタッフの一人は、トムさんに“多額のお金”を貸していたという事で怒り心頭だったのである。
彼らとしては、そうした未払い給料やトムさんに貸した金を我々に“どうにかしてほしい”様であったが、我々としては、“我々のウクレレ”の製作期間中の給与の保証まではしていたが、未払い給与に関しては、“筋の通らない支払い”はできないという事で拒否しており、ましてやトムさんの借金を立替払いするなど当然に考えてはいなかった。
そして、遂にトムさんに金を貸していた職人のフラストレーションは頂点に達し、またしてもトラブルを引き起こしたのである。
彼は、トムさんの借金のカタとして、工場にある全ての機械や工具を担保にとっていると主張し始めたのだ。
そして、それらを我々が“彼の言い値”で買取ってくれるなら、これまで通り工場は稼働できるが、そうでなければ、全て他の人に売り払うと言うのである。
しかも、期限は明後日という短さだ。
一見すると非常に理不尽な要求なわけだが、彼なりに切迫した事情があったのであろう。
しかし、残念な事に我々はトムさんの工場の設備に彼の提示した“言い値”ほどの価値を見出す事ができなかった。
何故なら、プランB(工場の新設)は、水面下では着々と進行しており、この一、二週間の中で、既に八合目位にまで達していたからである。
当然に必要な設備等の入手についてもあらかた既に当てが付いていた。
しかも、彼の言い値よりずっとお値打ちのうえ新品でだ。
しかし、仮に彼の言い値ほどの価値があったとしても、支払うつもりは微塵もなかった。
事情がどうであれ、“相談ではなく”、こういう一方的で理不尽な要求をされてしまった以上、こちら側も残念ながらドライにならざるを得ないのであった。
とはいえ、この一件に対する懸念事項もいくつかあった。
まず、この職人が設備等以外に“我々のウクレレや材木等の資材”に対してまで権利を主張してくるという可能性である。
しかし、これはトムさんがいなくなった時点で、既に兼松により全ての在庫が我々のものである事は確認済みだったため、本件が発生した時点で改めて兼松に確認してもらったが、その認識で特に問題はないという事で一安心となった。
このあたりを曖昧に放置していたらと思うとゾッとするわけだが、まさに転ばぬ先の杖であったわけだ。
次に一時的でも“生産が滞る”という事だったが、兼松、川上の話によれば、トムさんの工場内にある製造中のウクレレの全ては、既に7〜8割程度には完成しており、最悪、残りの作業の全ては“川上工房”でも行えるという判断だった。
それでももちろんある程度の遅れは出るという事だったが、私の判断も現場の判断も、こういう状況になったのであれば、一刻も早く移動すべきであるという事であった。
そして、最後に、これは懸念事項ではなく、少し残念な話であるが、ゴックさんの事である。
トムさんがいなくなってからの大変な状況の中で、一時的でもウクレレ製作の稼働が維持できたのは、彼の対応によるところが大きかったのだ。
また、彼は工場の中でも随一の製作技術の持ち主であった。
この工場では、様々なトラブルに見舞われたわけだが、彼個人には少なからずの恩と職人としての敬意を感じていた。
そこで、彼を引き続き新工場で共に働かないか誘ってみたのだが、残念ながら丁重に断られてしまった。
もちろん今以上の待遇を提示したのだが、彼はそれよりも、どうしても“トムさんの工場”を再建したいという事だったのである。
そして彼は、残りの作業を手伝うと申し出てくれたが、それはあくまで“トムさんの工場内”でという事だったので、我々は丁重に断わる事にした。
申し出は有り難かったのだが、トムさんには他にも債権者がいるため、万が一にも製作中の我々のウクレレに同様な“あや”を付けられても困るからだ。
さすがにこれ以上リスクを冒すわけにはいかないという判断だった。
こうして我々は、急遽トムさんの工場から撤収する事となったのである。
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