トムさんは“夜逃げ”した。夜逃げしたトムさんの後日談もあるのだが、まずは残された工場の話である。
この夜逃げについて、工場スタッフ達には当然に何も知らされていなかった。兄弟であるゴックさんにすらである。
しかし、ここ数日のトムさんの異様に落ち着かない雰囲気から察していたのか、ある程度こうした事態も想定していたようで、驚いてパニックに陥るなどということはなかった。
正直な話、私は全員が仕事を放棄する事態も十分にあり得ると思い警戒をしてたのだが、良い意味でこの予想は裏切られた。
大変ありがたい事に、我々のウクレレ製造については引き続き納期必達を目指して作業が続けられていたのである。
自然とそうした状況で事が進んだのは、彼らと共に汗水流して作業をしていた川上の存在が非常に大きかった事は言うまでもない。
しかし、当然の事ながら、トムさんにこれまで支払ったお金は工場には一切残っていなかった。それどころか、いくつかの外注費が未払いとなっている状況だった。
さらに、塗装などの外注作業がまだいくつか残っていたが、当然にその外注費も、残ったスタッフ達の給料も一切当てがない状況だったのである。
しかし、それは我々の想定内の事だった。
以前に「故あってトムさんに支払う額は予算の7割まで〜」といった話をした事があったと思うが、まさにこうした事態に備えてであったのである。
我々は未払い外注費の支払いに加え、以降の外注費の支払い、そして工場スタッフの給料の支払いを、“多少の足が出る”程度で抑える事ができたのである。
ここはトムさんとのギリギリの折衝を担っていた兼松の粘り勝ちならぬ、“渋り勝ち”であり、彼の賢明なマネジメントによるところが大きい。
お気付きの方も多いと思うが、正直な話、この環境というのは擬似的に“自社工場の運営”をしているのに等しい状況であったと言える。
そして断言できるのは、トムさんがいなくなった事によって、全ての指示をダイレクトに出す事ができるようになり、工場での生産活動が“非常に透明化”されたという事である。
さらに、自社工場の設立にあたって我々が懸念していた資材の仕入れ先や外注先の情報およびコネクションに関しても、支払いを我々が直接行う事で、自然と手に入っていったのである。
それらの外注業社や仕入れ業者なども、トムさんからの不安定な支払いではなく、我々からの明朗な支払いに切り替わる事に関して非常に好意的だった事は言うまでもない。
こうして我々は、“一先ずではあるが”、山場を何とか一つクリアーし、当面の生産性を担保する事ができたのである。
しかし、いずれにしても我々が新工場の設立を急ぐべきである事に変わりはない。
そして、そのためには私自身が候補地の視察を行い、判断する必要があったのである。
そのタイミングというのが、まさに次のリターンイベントである「ベトナムツアー」の真っ最中となるのである。
\ R A N K I N G /
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