2018年10月28日、「我々」はベトナムは常夏の街のホーチミン郊外にいた。
これが我々こと、後の「G-Labo」チームにとって、まさに始まりの旅となる。
そう、これは「G-Labo」についての記録である。
簡単ウクレレ教室YoutuberのGAZZさん。ウクレレブームの火付け役だ。
この旅の同行者は、昨今のウクレレ大ブームの火付け役である「GAZZLELE」のガズさん、それから、凄腕ウクレレクラフトマンの川上くん。
二人の紹介は長くなるのでここでは割愛するが、この二人こそが、新しいウクレレブランド「G-Labo」の主役である。
ちなみに、私の自己紹介も同じく長くなりそうなので、ここでは割愛する。
この旅の目的は「ベトナムにあるウクレレ工場(工房)を巡ること」、つまり一言でいえば「工場視察」だ。
ガズさんにとっては、自身が思い描く”最高なウクレレ”を創り出せる工場を探す旅。
川上くんにとっては、ウクレレ職人としての将来のヒントを掴むための旅。
そして、私がこの旅の案内人を務めた。
ウクレレビルダーの川上くん。路地裏は今も古き良きサイゴンの趣を残している。
出発前にも色々と面白いエピソードはあるのだが、ここでは割愛し、いずれ語る事とする。 まずはこの旅がどんなものであったのかについて話そうと思う。
そもそも、「ベトナム」と「ウクレレ」という組み合わせというのは、皆さんあまりピンと来ないのではないだろうか?
普通に考えれば、ウクレレと言えばハワイ(※)というのが王道イメージであろう。
しかし実は、ベトナムにも、ウクレレの製造工場や工房が数多く存在するのだ。 その中には、ハワイの大手ウクレレメーカーの下請けとして廉価版のラインを製造している工房などもある。
ホーチミンは家具などの木工が非常にさかんな街である。
(※ウクレレといえばハワイというイメージだが、実際にはウクレレは19世紀後半にポルトガルからの移民がハワイに持ち込んだブラギーニャという楽器(5弦楽器)が起源とされており、それを改良していく中で現在のウクレレの形になったそうだ。)
この旅では、事前に調査したウクレレ工場及び工房、計8社を2日間で巡った。視察自体も大変だったが、実は、この視察の事前調査がとても大変だったのである。
たまたま、私の会社の駐在事務所が10年ほど前からホーチミンにあったため、最初は現地のスタッフに依頼し、インターネットでウクレレ工場を探してみた。
しかし、いくつかの情報が見つかるものの、情報量が少なく、イマイチ精度の高いリストをまとめる事ができない。
そこで、インターネットで拾い上げた情報を補完するために、現地スタッフによる事前の視察調査を行うことにした。それと同時に、「ベトナムらしく」、口コミ文化を活用し、現地スタッフをはじめ周囲のベトナム人に何かしら情報が無いか手当たり次第に当たってもらった。
我々外国人にとっては、タクシーが主な交通手段だ。
その結果、最終的に7社の候補が見つかった。その中にはハワイの某ウクレレメーカーや、アジアの中堅ウクレレメーカーの外注先なども含まれており、なかなか面白い視察先リストが完成した。
余談だが、それらの某メーカーの外注先工場の情報を教えてくれた人の一人は、私の会社の駐在員が毎日馴染みにしているタクシーの運転手だった。彼の友達が有名メーカーのウクレレを作っている工場で働いているのだと言う。
しかし、後にこの情報が我々のベトナム進出に多大な影響を与える事は、この時点では誰も予想していなかった。
ガズさん夫妻と川上くん夫妻。
とにかく、こうして作成されたリストを元に、いよいよ我々のウクレレ工場現地視察は行われる事となった。
この時はまだ、後に「G-Labo」の工場がベトナムで立ち上がることも、川上くんが夫婦そろってホーチミンに移住することになることも、「彼ら」は予想していなかったに違いない。
次回、「エネルギーに満ち溢れた街。初めてのベトナムに驚け!」に続く。
\ R A N K I N G /
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