さて、川上の動向に関係者の注目の集まる中、G-Labo工場は「川上にしかできなかった仕事」の“第三関門”にいよいよ突入した。
当の川上はと言うと、前回の第二関門の突破を境に、完全なる復活を遂げていた。
今回の生産分は全て、新たな三人の職人を加えた”新しい生産体制”によるものだ。生産性の向上、品質の向上を目指した“新しいやり方”も、工程の中の随所に導入されている。
もちろん、その全てが初めから上手くいったわけではない。限られた時間の中でも、幾度となくトライアンドエラーを繰り返し、新しい工場に生まれ変わるべく、アグレッシブに挑戦し続けたのだ。
川上不調時、もちろん川上監修のもとではあったが、最ベテラン職人であるゴックさんを筆頭に、そうした挑戦を推進してきたのだが、川上の復活以降は、川上自身が不調時とはまるで別人の如き気合の入り用で率先して現場の指揮を執るようになり、これまでの改善の流れを更に勢いに乗せて進められる様になっていた。
そうした動き自体はとても喜ばしい事であり、良い事であるのだが、それと関連して、水面下では“新たな別の問題”が、にわかに顕在化し始めていた。
第二関門までの工場の管理については、読者の皆さんがご存知の通り、工場長である川上が不調であったため、実質、他の部署から急遽駆り出された“兼松”と、このタイミングでインターンから社員となった“淡路”が、その中枢を担っていた。
そして、彼らが管理を担う事で、工場にとって“二つの良い事”が生まれた。
一つは、生産状況が以前では考えられないほど“透明化”された事だ。
これは、兼松による詳細なタスクの明確化が進み、その進行状況が、遠方にいる私に対して、両名から逐一報告が挙げられるようになったからだ。
故に発生する問題にもいち早く気づく事ができ、都度、協議を繰り返しながら、“企業としての最善”を模索する事ができた。
そして、もう一つは明確な指揮系統が出来た事だ。
もちろん、ベトナム人に対して、ガチガチの日本式の指揮系統というものが直ぐに機能したわけではなかったが、方針や意思を伝え続ける中で、少なくとも指揮の伝わる道筋は、徐々にではあるが確かに形成されていったのだ。
次回
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