トムさんの工場からの撤収は、非常にスムーズに行う事ができた。トラックをチャーターし、スタッフ総出で大量のウクレレと資材をたった一日で一気に川上工房に運び込んだのだ。
突然大量の在庫や資材で溢れてしまった“川上工房”は“住居”でもあったので、少し可哀想だったが、今しばらくの辛抱である。
当面の動きとしては、川上工房では回収したウクレレの作業の再開、兼松は引き続き、プランBの遂行である。
さて、我々の撤収後のトムさんの工場がどうなったか?だが、どうやらベトナムのギターショップのオーナーが工場を買い取る事で話がまとまったらしい。
最終的にいくらで買取られたかまではわからなかったが、従業員も全員継続的に雇用されるという事だった様で何よりである。
ただし、オーナーの意向で、今後はウクレレを作る予定は一切ないという事だった。
そして、トムさんだが、我々が工場から撤収した後、実は彼からSNSを通して何度か川上宛に連絡があった。
彼はカンボジア方面の田舎に奥さんの実家があり、そこへ逃げ込んだという事だったが、程なくしてあっさりとホーチミン近郊のどこかに戻り、また楽器製作を始めているようで、また我々から仕事が欲しい、というアプローチがあったのだ。
川上が相手にしなかった事は言うまでもないが、彼が凄いのは、川上に相手にされないと見るや、どうやって調べたのかわからないが、何と私やガズさんのSNSアカウントにもメッセージを入れてきた事である。
ここまで逸脱して図々しいと、逆に“ある種の逞しさ”を感じてしまい、少し感心させられる。全くとんでもなく“あっぱれ”な生命力である。
ここで、誤解がない様に伝えておきたい事がある。
実のところ、私はトムさんの工場に“大切な製品の製造”を依頼した事を後悔した事は一度もない。
そして、トムさん自身にも一切の恨みを抱いた事はない。
何故なら、トムさんの工場を選択したのは、“その時の最善であった”と断言できるからだ。
そして、“川上が認めた”トムさんやその弟のゴックさんの職人としての実力は“紛れもなく本物”だった。
何より、我々は別に彼らを“聖人君主”と思って付き合い始めたわけでもなかったのだ。もちろん“夜逃げ”という結末までが予想できていたわけではないが、ある程度のトラブルは“100%起こる”とわかっていた事だった。それでも“賭ける価値”があると思い、敢えてリスクをとったのである。
ビジネスには、敢えて“火中の栗”を拾わなければわからない事や、拾う事でしか得られないものが数多くある。まさに“虎穴に入らずんば虎子を得ず”といった感じだ。
リスクを取らなければ、あの“大量のガズのわがままウクレレ”を製作する事は出来なかった。
そして、加えて得たものも大きい。先述の通り、トムさんとの付き合いを経て、結果として我々は、ベトナムで工場を営むために必要な“ノウハウやコネ”の多くを手に入れる事ができたのである。有用な資材の流通経路や外注先など様々だ。
例えば、後に詳しく紹介する凄腕塗装職人のロンさんなどは、元々はトムさんの工場の外注先だったが、縁があり、今では我々の会社の頼れる社員なのである。
そうしたベネフィットを考えれば、むしろ「ありがとう」という感謝の気持ちの方が大きいと言っても過言ではない。
また、ホーチミンは大都市だが、小さな街でもあり、日本的に言うならば、一種の“村社会”的な側面がある。
後にそれなりの規模の工場を構えるのであれば、既存のコミュニティにおける人間関係を毀損する事なく、一連のトラブルを何とか無事に掻い潜って次のステージに臨めるというのは、とんでもない嵐にあっても航路を引き返す事なく、無事に目的地に辿り着いたのと同様に、紛れもなく“生還”なのであり、“成功”だと思うのだ。
そういうわけで、我々は次の「新設工場」という新たな航海に、船を進める事となったのである。
次回
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