ユさんからメッセージを受け取った数分後、私は兼松に連絡を入れていた。
やると決めたら、できる限りの迅速で行動を起こす事が肝要だ。まさに“兵は拙速を尊ぶ”というやつである。
私は兼松に、まずは次の様な指示を出した。
まずは川上を支えられる人材として、工場管理に長けたマネージャーと、木工の経験者(ベテラン・スペシャリスト)を至急で数名確保してほしいと。
この意図は単純だ。先に木工職人の話から言えば、川上が頼りにできる、“背中を安心して預けられる職人”が居れば、川上の負担は大きく軽減され、彼のパフォーマンスは必ず最大限発揮できると確信していたからだ。
おそらく一人手練れが加わるだけでかなり環境は変わるし、二人見つかれば、周囲が驚くほど激変するだろう。
塗装職人のロンさんが良い例である。
彼のセクションに関しては、川上は現時点で既に、何の不安もなく全幅の信頼をおいて仕事を任せる事が出来ているのだ。
また、彼を介した若輩スタッフへの教育だけは、先述の通り、現時点でも非常に上手く機能していた。
そしてもちろん、川上と彼が揉める事など、一度たりとも無かった。
工場内において、彼に対しては、まさに“長幼の序”があり、誰から見ても“大人な存在”として認識されていたのである。
他のセクションにも彼の様な安定した大人たる手練れが居れば、職場が安定するのは必然と言っても良いだろう。そう、多少強引でも、まずは誰が見ても不安を感じない安定した職場を作る事が第一なのだ。
そのためには“安定感の元”となる、頼れる“中間を担う人材”が今直ぐに欲しかったのである。
実のところ、これまでの現地からの報告では、経験者の雇入れは、なかなか難しいという話だった。
その理由は、ベトナムには多くの家具職人はいるが、楽器製作となると、なかなか川上の眼鏡に叶う人材にリーチする事が難しい“だろう”という事と、ベトナムにおける木工という分野は、かつてのトムさんの工場の様に家業としてやっている様な小工場が多く、そもそも転職という概念があまりない層であるという事だった。
そうした背景と、トムさんの工場での“出来合いの職人”とのコミュニケーションの難しさという川上の体験から、これまでは、川上の意向に従い未経験者の採用を優先して推進していたのだ。
しかし、現体制が未経験者の育成に早くもつまづき、それが人間関係の問題にまで発展しているという現状がある以上、早急な教育体制の見直しが迫られているのは明白であり、それを“ただ待つ”というフェーズは私が介入した時点で、当然に終わったのだ。
また、もう一つの工場管理者の求人だが、これは元々はユさん⇆兼松のラインでお願いしようと思っていたのだが、ユさんの問題がどうなるにせよ、現状の現場に極力負担を掛けずに待った無しの最短で工場の管理体制を完成させるには、兼松と管理について高度なやり取りが組み交わせる“管理専門のスタッフ”を正式に採用するのが手っ取り早いと考えたのだ。
もちろん、ウクレレ工場はおろか、木工の工場のイロハなど全く知らなくて良い。
ただ、我々の考える、工場内の「ヒト・モノ・時間」の管理が高レベルで実践できる人材であればウェルカムという姿勢で募集しようと考えたのだ。
兼松が上述の様な新たな求人に対して難色を示した訳ではなかったが、“難しい”と言われるミッションであればあるほどに、意地でもクリアしたくなるのが私の性格だ。
というよりも、おそらくやってみれば、対して難しくないだろうと思っていた。
そこで、私がまずやった事は、これまで培ってきた、ベトナムでの人脈の中で、“答え”を知っている可能性がある人達に手当たり次第連絡を取ってみたのだ。
10年近く疎遠になってしまっていた人達から、つい最近知り合った人達まで本当に様々と手当たり次第にだ。
突然の私からの連絡に驚いた人も多かったが、ものの数時間の中で、様々な有益な情報や、何といきなり候補に当たる人物の紹介まで受ける事ができたのだ。
思いのほか、多くの“有力なパズルのピース”が挙がってきたので、後は最善と思われる絵に組み立てるだけとなった。
つまり、とりあえず必要な情報は“たった半日”で得る事が出来たのである。
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ベトナムで起業される日本人、意外といますね~♪
起業しやすい環境がそろっているのでしょうか?
ホーチミンに進出している日本企業は非常に多いです!
ベトナムでもホーチミンと首都ハノイでは雰囲気が違うようですが、
ハノイに比べるとホーチミンはちょっと南国気質でのんびりしたおおらかな雰囲気で、
新しい事を始めるのには良い土地なのかもしれませんね。