重大な決意というよりは、判断という方が適切かもしれないが、今回の問題を経て、私は工場組織の最適化について、もう少し“ダイレクトに介入”する事に決めたのである。
これまでも決して関わり方が薄かったわけではなかったが、基本的なスタンスとして、現場の自律的な動きを尊重し、意図的にそれを最優先する考えを示してきた。
そうする事が“最も茨の道”ではあるが、“ゼロから考えて創り上げる”という特別な体験により、現場を担う当事者達にとって、この上ない成長機会の場となると考えていたからだ。
しかし、この“やり方”には大きなデメリットがある。
自律的というからには、自律の中心にあるキャストのキャパに工場の成長性が大きく依存してしまう事だ。
この場合、キャストというのは言うまでもなく川上本人やユさん、それに兼松がそうなのだが、ユさんの発言を経て、現時点でのその”最小単位”が川上夫婦であるという認識の存在を確認できた。
この認識故に、問題が起こった際には、悪気なく、「自分達以外に問題がある」という考えがまず先に出てしまう事が、実際問題として多かったのだ。
この点に関する私の見解は先述しているので割愛するが、どこか”外部“であると認識されている私や兼松の言葉は、もちろん全てではないだろうが、“現場ではない人間”の“机上の空論”の様に聞こえていた所もあったのであろうと思う。
誤解が無いように言っておくが、川上の意見はもちろんそうではなかったが、工場内という閉鎖的な空間の価値観というのは、往々にして、身近にある強い意見に影響を受けやすいものである。
またそう思っていなくても、少なからず認識や価値観のゆらぎが出るのは人として当然の摂理なのだ。
何れにしても、キャストのキャパに依存しすぎて、“小さな城”にまとまってしまっては、このプロジェクトの抱える“大いなる野望”の達成は難しいと思わざるを得なかったのである。
そして言うまでもなく、仮に彼らだけでは出来ない事であっても、他のキャストを有効活用できれば、容易に実現する術などいくらでもあるのだ。
そして、“組織のルールを書き換える”というその指示は、当然に私にしか出来ない仕事であると確信していたのだ。
実はユさんから、“私と一対一では話ができない”という旨のメッセージをもらった日から、もっと言えば、もらった瞬間から私は動き始めていた。
それは、彼女への対応ではなく、“組織改革”についてだ。
ユさんの件に関しては、率直に言って、反発自体は大いに結構なのであるが、それによって感情的となり「会話ができない」という主張が組織の中でまかり通ると思われている状態は、組織として“完全に終わっている”と痛感した。
もちろん、これまでの17年間の経営において、この様な事態に陥ったのは初だが、それだけ工場と私に距離があるという事で、そうした状況を生み出した自分自身が許せないという思いもあった。
後に、川上からユさんの本心について、連日続くトラブルの末、完全に生活リズムを乱した川上の身を案じた結果、感情的になったのだと説明を受けた。
人として、それは痛いほど理解できる事だ。
しかし、個人の感情一つで社内でのビジネスライクな会話すら出来なくなることは、少人数で推進しているソリューションにとっては致命的で、組織として決して許容できる事ではもちろんなかった。
とはいえ、直ぐの話し合いができないという状況もあり、本件は再び川上が彼女と話合いをするという事で、まずはそれを待つという事となった。
その話合いの顛末は後述する事とするが、今は多少強引でも土壌となる組織改革を進めなければ、この先も同様の“不毛なトラブル”を繰り返すと解りきっていたので、まずは、そちらに全力で注力する事としたのである。
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ウクレレ趣味が理由でベトナムで起業されるのですね。
どこまで成長されるか楽しみです。♪
元々システム開発の事業でベトナムに駐在事務所はあったのですが、
とにかく人も街もエネルギーに満ちた国なので、
他の業種でもまだまだ伸びしろが大きいと思っています!
このエネルギーを前進する力に上手く変えていきたいですね!