ベトナムから帰国して数日がたった頃、工場から良くない知らせが届いた。
試用期間中であった新米通訳のリンさんの仕事が良くないという話だ。
彼の仕事については、先述した通り、訪越時に危惧した通りではあったが、予想できていただけに、現地で修正できなかったという結果はとても残念で重たい。
この報告で確信したのは、私が訪越時に施した策に従った、流れ通りの動きにはならなくなるであろうという事であった。
そして、近いうちに、新たに“人”に関わる類似の問題が必ず起こるだろうと予測した。
そこで兼松にはその予見を伝え、注意を促しはしたものの、問題の性質上、そうそう簡単な解決は難しいだろうとも考えていた。
はっきり言うが、工場には“致命的な欠陥”があるのだ。
訪越の時から気づいていた事ではあったが、この問題に本気で着手するためにはかなりの“大鉈を振るう”必要がある。
だがそれには、今回の滞在では時間が足りな過ぎた。
そのため、できる限りの近々のタイミングで再びホーチミンへ訪れたいと私は望んでいたが、コロナ問題の影響で、日本⇆ベトナム間の往来は完全に閉ざされてしまっており、復航の目処は立つ気配すらなかった。
非常にもどかしいが、今やれる事は、遠隔でのできる限りのやり取りと、工場の自律的改善と復航を待つ事だけである。
“待つ”というのは、私が最も苦手とする行為で、吐き気がするほどストレスが溜まる事なのだが、事態が事態なだけに、仕方あるまいといった感じなのである。
そうして復航の兆しが一向に見えない中、またもや“新たなトラブル”が起こった。
工場のすぐ隣の土地で建設工事が始まったのだが、かなり乱暴な工事だったらしく、何と、誤った重機の操作によって我々の工場の壁に穴を空けてしまったのだ。
しかしその工事のせいで、我々の工場の床が傾いてしまい、塗装の設備が傾いて、安全に作業できなくなってしまったのである。
そして、事態は更に悪化する。
この事故に対処すべく、隣の工事を担っている業者や工場のオーナーとの話合いが急遽行われたのだが、ここで、先日に引き続きまたしても川上がブチ切れてしまったのだ。
重ねて悪い事に、そのブチ切れた川上に対して、兼松が更にブチ切れたのである。
ブチ切れまくりの、まさに“カオス”な状況だ。
これまで苦難を共にしてきた仲間同士の諍いというのは、非常に残念な上、生産性の欠片もない。
双方にどれだけの言い分があろうが、愚行の極みである事には間違いないのだ。
また、以前にも記したが、ブチ切れたところで何も解決しない。
もちろん、そんな事は当事者二人ともよく分かっていたはずだが、“上手く回っていない”からこそ、精神的に過敏になり、些細な事も我慢できなくなるのだ。
また、これは私の勝手な推測ではあるが、ベトナム人の伴侶を得て、ベトナム人スタッフとの親交も厚い兼松から見れば、問題を起こしたからとはいえ、ベトナム人に対して一方的に、頭ごなしに感情に任せて怒鳴り散らすという行為が、ある種の差別的な行為に映ってしまい、我慢できなかったのではないかとも考えた。
だが、それでも決してキレてはダメだ。
もっとも、兼松にしても当然、川上が本来そんな差別的な考えの持ち主ではない事など、重々知っていたはずだ。
とにかく、二人ともに”精神的余裕が無かった”のである。
この一件は、まさに工場の今を写す“写し鏡”であると私は感じていた。
もちろん、彼らの今回の行動については、しっかり咎めたし、仲裁もした。
幸いな事に、二人の仲はこんな事で壊れてしまうほどやわではなかったが、元来温厚な川上が感情的となり、元々クレバーがウリな兼松もまた感情に支配されるという最悪な状況は、私が“ある大きな決断”について考え始める切っ掛けとなったのである。
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