ここに来てとうとう、当事者三名に対して“私が怒る”という事態になった。
とはいえ、怒ると言っても、若かりし頃の様に感情に任せて怒り狂うという意味ではなく、『それぞれ思うところがあれど、会社として“筋の通らないやり方”は許容できない』という至極当たり前な話を、“少しだけ”厳しく申し伝えただけだ。
要点は主に三つで、まずはじめに、どういう言い分があろうとも、会社にとっては、”会社の進行を遅らせる、止まらせるものこそが、悪であり敵となる”という事だ。
上長の個人の思いや蟠(わだかま)りでいちいち進行が止まっていたら、会社としてはリスキー極まりないわけで、いちいちその波に振り回される従業員達こそ不幸であるという事だ。
次に、如何にそれぞれが正しいと信じるところがあろうとも、”正論だけでは決して人は動かない”という事実だ。
100%の納得を相互に得られるのがベストであるが、そこまで行かずとも、相互に妥協点を模索し、見出すくらいの努力が出来ないのは、多くの従業員を雇用すべき立場からすれば、ある種の怠慢であると言っても過言ではないのだ。
そして三つ目は、数少ない日本人スタッフ同士で協力しあえないようであれば、「このビジネスはおしまいです」という事である。
それぞれの立場は違えど、プロジェクトを成功させるために結成されたチームだ。
野球やサッカーでもそうだが、即席で作られたオールスターチームであっても、たとえどの様な遺恨のある人間関係がチーム内にあったとしても、チームを勝利に導くために全力を尽くすのがプロの仕事である。
そしてそこには当然に”プロとしてのチームワーク”が存在しており、それは、友達同士の”仲良しクラブ”では決してないのだ。
個人の一意見で仲違いしてチームが敗退するなど、不幸以外の何物でもないし、プロとしてそんな事は決してあってはならないのである。
つまり、何でも良いから、それなりに仲良くやれという話なのだが、少なくとも全員が全員、やり方の是非は別として工場を良くしようと考えているのは違いないのであり、その大きなベクトルに相違はない。
だから問題なのは、やり方、手法の擦り合わせだけなのである。
理由や動機がどうであれ、根本的な方向性は合っているわけだから、別に揉める必要など、本来は1mmもないわけなのだ。
もちろん個々に相互に思うところはあるだろうが、頭と口がある人間であるのだから、要するに『とにかく頭を使って話し合え!』というわけなのだ。
全ての話し合いに私が介入すれば、いちいち収める事もできるのかもしれないが、そんなものは一時凌ぎに過ぎず、私の目指す工場組織ではない。
現場の事は原則、現場で解決すべきなのである。
そして、その説教の中で、『話し合いを通じて決まった事が工場の方針であり、独断専行は禁止』というベタな御触れがなされ、それ以降は、そうした醜い報告を聞く事は一先ずはなくなったのである。
次回
\ R A N K I N G /
ブログランキング参加中!
よろしければ下記2つのボタンをクリックしてください!当ブログに1票投票されます。