妙に忙しない一週間をようやく終えた週末。
少し頭を休めるため、読書に耽りたいと思い、買い溜めしていた本から“本日の一冊”を選ぶ事にした。
買い溜めしてあった本の多くはビジネス書だったが、“頭を休める”という事が目的だったので、別ジャンルであろう“ある本”を選んだら、これが“大間違い”だった。
結論から言えば、とても面白かったのだが、想像した内容とは随分違い、どちらかと言えば、仕事について色々と考えさせる結果となってしまった。。
その本とは、北大路魯山人の「料理王国」だ。
余談だが、普段仕事の合間などに読む本は電子書籍がほとんどだが、オフで読む本は未だに紙物が多い。
電子書籍は便利だが、紙の書籍がやはり好きなのだ。もちろん本にもよるのだが。
この料理王国という書籍は、実のところ青空文庫でタダで読む事ができる。
それでも、何となく紙の本で読んでみたいと思い、かなり前に古本屋で見つけて、衝動的に中古で買ったものだ。
中古と言っても、前の持ち主が相当大事にしていたのか、中は経年の黄色っぽい変色が見られるが、新品同様に綺麗な状態だった。
個人的には、この古書ならではの紙の少し変色した感じが好きなのだ。
さて、肝心の中身だが、美食家としても名高い魯山人の料理本という事で、さぞや美味しそうな話が盛り沢山と思って読んだところ、どちらかというと料理を通じた魯山人の美学・哲学的な話が、魯山人的な極端な言い回し全開で語られている感じで、期待とは少々違っていたものの、読み応えはあったと言った感じだった。
特に序盤の「料理の第一歩」という話で、いよいよこれがどういう本なのか、ただの料理本でない事を思い知らされる。
この話はいきなり強烈な例え話から始まる。
カミさんに去られた一人の男が、料理を食べるためにアレコレ考えるのだが、結局行動を起こさず、結局身近にあるパンをかじったり、米を炊かずに生で食べたりする。
男は頭では“やるべき正しい事”を考え続けているので、頭だけがどんどんデカくなり、ひもじい食生活のため、手足はやせ細っていく。
最終的に男は身近に食べるものがなくなり、自分の痩せ細った足を食べ、胴を食べ、手を食べ、最後にはデカい頭と口しかなくなったという悲惨な結末だ。
魯山人はこの話を通して、「正しいこと、いいことを考え、間違ったことを少しも言わない人々がいる。そして一つも実行しない人間もいる」と言い、料理をおいしくこしらえる“こつ”は実行だと思うと結論付けている。
そして、「考えることも大切だ。聞くことも大切だ。それと同じように、実行することは、もっと大切なことだと私は思う。」と言っている。
また、他の章では、「実用の効果という点からも「美」は見逃せない役割を担っている」、「「実用」のことばかりを言って、その背後にある「美」の影響に無頓着なのはよくない」「「美」のことばかりを言って、その背後にある「実用」の影響に無頓着なのもよくない」などと言っているが、言われる度に連想するのは、私的には、やはり”仕事の在り方”だったりするわけだ。
まるでジョブズだ。
もちろん、美味しい料理の話も出てくるのだが、いちいち魯山人的な独特な言い回しというか、彼のエゴとも言える独特な哲学・美学が介入しており、料理というよりは、それらをメインとされている感じで、料理本として読もうとしたら、なかなかに痛い目にあったと言った感じだった。
とは言え、思わぬ形で面白い書籍と出会えてラッキーだったと付け加えておこう。
最後に、個人的には、魯山人がフランスで「ツール(トゥール)・ジャウダン」という鴨料理屋に行った時のエピソードが面白かった。
ソースが合わないと、持参していた薄口醤油と粉山葵、それに卓上にあった酢(ビネガー)を使い、特製の山葵醤油を作って食べたという話だ。
一読して私は納得した。何がかと言えば、かの有名グルメ漫画である「美味しんぼ」に、稀代の美食家・芸術家という設定で登場する「海原雄山」というキャラクターがいるのだが、そのモデルは間違いなく、魯山人であろうという事だ。
\ R A N K I N G /
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