三つの“川上にしかできない作業”の内の最初の一つで、技術的というよりも“求めるべき品質”という感覚的な問題に取り掛かる中、納期に影響が出る“デッドライン”は刻一刻と迫っていた。
そのような状況で、体調の問題もあったかもしれないが、“求められれば必要な事には答える”という、消極的とも取れる川上の姿勢と対応に、兼松は構わず、淡路は悩んでいた。
淡路から話を聞くと、彼も川上に言いたい事はあるのだが、なかなか言い辛いというような様子で、仕事として言うべき事は言わなければならないという気持ちと、これまでの川上の苦労を間近で見てきた者としての思いや、純粋に彼の体調を気遣う気持ちなどが混在していて、自分が今どのように振る舞えば良いのか、分かりかねているといった感じであった。
これまでの人間関係を考えれば、当然の反応であり、無理もないと私は思ったが、その上で、淡路に対して、このように助言した。
「言うべきだ」と思う事があるのであれば、言った方が良いと。
彼が目で見て、耳で聞いて、感じた事を伝えるべきだ。
そのままにしてはいけない。
遠くにいても状況は良く伝わってくるので、当然、私も川上としっかり話をするつもりでいたが、それとは別に、現場の生の意見は現場で聞くべきだ。
淡路からの言葉は、おそらく、その時の“川上自身を映し出す鏡”となるだろうし、外ではなく、内から出る切実な言葉であれば、川上も流石に耳を貸すだろうと思ったのだ。
淡路は、自身が切実に捉えている現状を改めて川上に伝え、加えて具体的に何をして欲しいのかを伝えた。
実のところ、ベトナム人職人による“川上にしかできない作業”の第一関門の克服も光明が見えてきていたのだが、それでも、作業に少なからず遅れが出ている事に変わりはなかった。
そのような中、淡路からの言葉を受けた川上は、遂に動き始めた。そして、あっという間に、遅れ分の作業を“お釣り付き”でこなしてしまった。
もちろん、その仕事は完璧だ。
淡路の言葉を聞いて、彼がその時、どう感じたかまでは聞いていないが、それが切っ掛けで動き始めた事は間違いないだろう。
もちろん、これで全て元通りと行くほど、その後も決して甘くはないのだが、それでも、一つの明確な変化が得られた事はとても重要な事だった。
久しぶりに川上の集中した仕事を目の当たりにした淡路は、喜びのメッセージと共に、川上の仕事風景の写真を何枚か私に送ってきた。
これが、このまま良い流れのまま、良い方向に続いて行けば良いのだが、捻くれ者の私は、そう簡単に良い形で物事が進んでいかない事を良く知っていた。
\ R A N K I N G /
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