さて、本日はかなり“私的な価値観”の話という事で、あくまで私見なので、是非“聞き流して”頂きたい。
少し前に、ギターを長年やっている友人から、「ウクレレの何がそんなに面白いの?楽しいの?」と、軽い世間話の中で質問を受けたのだが、おそらくだが、生憎と彼の満足いく様な回答は持ち合わせていないと思い、適当にいなしてしまった。
そうした理由は単純で、「私の面白い、楽しい=彼の面白い、楽しい」とは、ならないであろうと思ったからだ。
だから、「ウクレレは私的には面白い」という事と、ウクレレを本気で好きになるきっかけとなった「GAZZLELE」をまず見てよ!という事を伝えたところで話は終了した。
後日、GAZZLELEを見た友人は、私の知らないうちに、ウクレレを始めていた。
この話で一つ癪に触るのは、ギターの経験があったからであろうが、スタート時点で先輩である私よりも既に上手いという事だ。
話は飛ぶが、一つカミングアウトすると、実は私は大学に入学して直ぐに“フィギュアスケート”を始めた経験がある。
何を思ってか、突然、“フィギュアスケート部”に入部したのだ。
愛知県と言えば、伊藤みどりや浅田姉妹、安藤美姫など、数々のトップスケーターを輩出した“フィギュア大国”であるが、私はスケート経験など全くない素人として、大学デビューを果たしたといった感じだった。
入部のきっかけは新入生歓迎のイベントで、スケート部の先輩が陸上でダイナミックなアクセル(1.5回転のジャンプ)を披露したのを見て、本気でカッコ良く思い、自分もやってみたいと思ったからだ。
私の通っていた大学のフィギュアスケート部は、そこそこ伝統はあったが、先輩達も皆素人からのスタートで、小さい頃からの経験者は一人もいなかった。
つまり、全員が横一列のゼロベースからのスタートとなるのだが、私にとってそれはそれで結構残酷で過酷な環境だった。
というのも、他の部員と比べて、私にはフィギュアの才能が“皆無”だったからだ。
自分なりに努力はしたつもりだったが、なかなかそれが実る事はなかった。
2年になった頃、沢山の後輩に恵まれたのだが、ここで決定的で残酷な真実を思い知らされる事になる。
入部してきた後輩達の中で一人、ズバ抜けて“センスの良い新人”が現れたのだ。そして、情けない事に、私の拙い技術は3ヶ月と経たない内にあっという間に抜かされてしまったのである。
・・・と、実際に厳しい現実に直面したわけだが、実のところ、私はその頃からフィギュアスケートが楽しくて仕方なかった。
何故なら、最高の後輩達と出会え、共に思いっきり、始めて心の底から部活動を楽しめたからだ。
余談だが、吉本や兼松は、その時の部活の後輩だ。
他に我が社にはもう一名の元フィギュアスケート部員がいるが、いずれも創業からのメンバーで、私が起業した際に、それぞれが勤めていた会社を辞めて駆けつけてくれた仲間であり、古くからの同志なのだ。
彼らの存在のお陰で、私の部活動は随分賑やかで楽しいものとなった。
まぁ、私の場合、当時は特に尖りまくっていたので、先輩や同級生との折り合いも決して良くなかった事もあり、後輩達がいなければ、おそらく2年生中のどこかでは、退部してしまっていたかもしれない。
彼らのお陰で、私は大学時代におけるフィギュア人生を大いに満喫する事ができたわけなのだが、それと同時に、彼らと過ごす“部活動のあり方”を真剣に考える様になり、“部を纏める活動”にも注力していった。
自分で言うのも何だが、それが、私の“経営者としての人格”を作り上げたと言っても過言ではないかもしれない。
一つ付け加えるなら、スケートの技術ははっきり言って“カス”だったもしれないが、部の取り纏めという点においては、自分で言うのも何だが“伊達”ではなかった。
団体競技であるエキシビジョンというのがあったが、私が指揮を執った2年間は連続の優勝を納めた。
まぁ、お祭り的なものなので、あまり大きな事は言えないが、皆で勝ち得た勝利はそれはそれで嬉しいものだ。
加えて、部活動に関わる様々な改革やイベントをいくつも手がける事ができ、勉強はともかく、最高な学生時代を過ごす事ができた。
ちなみに個人戦だが、もちろん階級別で、大して高い階級ではなかったが、一応、中部の公式な大会で最高2位にまでなる事ができた。
万年ビリだったので、凄く嬉しかったのと、自分自身が一番驚いていた事をよく覚えている。
フィギュアスケートは、とても下手くそだったが、今でもたまに夢に出るほど当時は熱中していた。
他の人が普通に出来る事がなかなかできない事に酷く悩んだ時期もあったが、それを含めて本当に楽しかったと言える。
これにもう一つ付け加えるなら、簡単に出来なかったからこそ、出来た時の嬉しさが半端じゃなかったと言っておこう。
後からしみじみと思うのだが、熱中できる事に出会えた事そのものが、その過程がどれだけ辛かろうとも、私にとっての最高に幸せな出来事であったと心から思える。
そういう意味では、あの時の様な“若さ故の熱さ”は流石に目減りしたかもしれないが、“ウクレレとの出会い”もそうした事に違いないと実感している。
(続く)
次回
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