G-Labo工場にて新たな生産体制が整いつつある中、川上の不安定な状態は続いていた。
やる気そのものを失くしてしまったわけではないのだろうが、作業に集中しきれない様子で、予定が整然とガチガチに組まれている生産ラインに、そうした状態である彼の仕事を組み入れることは非常に困難な状況だった。
生産ライン自体は先述の通り、3人の新たな手練職人の活躍もあり、稼働が止まるという事は決してなかったが、はじめて敷かれた生産ライン上での作業は手探りな部分も多く、日々「新たな課題に直面しては、それを打開する」という毎日を繰り返していた感じだ。
しかし、そうした課題の打開の中心には、大変残念な事に、川上の存在はなかった。
もちろん、川上無くしてはクリアできない問題もあり、そうした際には全く協力しなかったわけではないが、それが積極的か消極的かで問われれば、後者であると言わざるを得ない状況だった。
課題の打開や改善の動きは、兼松の指揮のもと、主にゴックさんを中心としたものとなっていたが、どうしようもなく困った状況が起これば、やむを得ず、川上に相談するという感じだったのである。
そして遂に、その様な状況下で事件は起こった。
以前から話に出ていた「川上にしか出来ない3つの作業」の最初の関門でそれは起こった。
作業としては出来ているのだが、「“川上品質”に至らない」という問題が発生したのである。
誤解がないように付け加えると、これは技術的な問題ではなく、“感覚的な問題”だ。
例を言うならば、ウチの会社では、ホームページの制作やアプリの開発なども行っているが、それらのデザインは全て日本人のデザイナーが起こしている。
そして、そのデザインをホームページ化したり、開発したアプリに反映させる作業はベトナム人スタッフが行っているのだが、“日本人的な普通”で考えると、当然にお手本のデザイン通りのものが出来上がるのを想定するところ、実際には“何もしなければ”そうはならない事が多い。
文字の間隔が変わってしまったり、微妙に色調が変わったり、全体のバランスが少しおかしくなったりする。
ここで、間違えてはならないのは、別にベトナム人が怠慢な仕事をしたというわけでは決してないという事だ。
彼らの感覚では、至って真面目に手本と同様のものを作ったと思っているわけなのである。
つまり、その微妙な差異、要するに“求められる品質”に対する認識というか、価値観そのものが違うのである。
故に、”品質”に関する認識のすり合わせは、感覚的な話が多いという意味で厄介なわけで、非常に重要なプロセスとなるのだが、これはウクレレ制作でも同様の事が言えるという事だ。
この件に関し、淡路から指導の依頼を受けた川上は、担当していたベトナム人スタッフに対して、必要な事を伝えはした。
しかし、当然のことながら、ベトナム人スタッフが直ぐにそれを踏襲することは難しかった。
話す毎に良くはなっているが、まだ合格にはいま一歩至らないといった感じが幾度か続いていた。
素人的な感覚で言えば、川上にベタづきで指導してもらいたいという状況ではあったが、考えがあってなのか、なかったのか、はたまた気力が失せてしまっているのか、調子が悪かったからなのかは定かではなかったが、川上は決してそうした動きをとろうとはしなかった。
そして、そうしたやきもきする時間の中で、このままこれ以上時間が掛かってしまうと全体の工期の遅れに繋がる恐れが出てくるという“デッドライン”が差し迫った時、遂に“淡路”が動いた。
次回
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