三人のベテラン職人を迎えたG-Labo工場では、確実に「川上にしかできない作業のボトルネック化」という大きな課題の克服が進んでいた。さらに先述の通り、生産性とその安定性も飛躍的に向上していた。
ここまでの動きの立役者といえば、やはり、兼松、淡路の二人だ。川上が不安定な状況下での彼らの奮闘が無ければ、この短い期間での成果は決して成し得なかったからである。
こうなってくると、いよいよ川上の完全復活が期待される局面となってくるわけだが、状況は単純に、”彼の体調が良くなればそれで良し”となるほど、簡単なものではなくなってきていた。
何故ならば、彼が不安定となっていた短い期間の中で、工場の体制は、容赦無く大きく変化していたからだ。
この変化は、単に改善というよりは、“改革”と言った方がしっくりくるかもしれない。
要するに、それほどの大きな“変革”があったという事だ。
経営者としての言なので、非常にドラスティックな発言で恐縮だが、この“改革”は、あくまで「工場を安定させる事」が最大の目的であり、川上の体を休めさせるための“一時的な措置”という考え方は1ミリもなかった。
故に、この改革の施策を考える際、「川上が完全に復活し、以前通りの仕事ができるかどうか」という“不確定な要素”は、一切考慮しなかったのだ。
誤解が無い様に断言しておくが、私は川上の体調について非常に心配していたし、その復活についても、誰よりも望んでいた。
しかし、川上一人の不調で、大きな波風が立ってしまうほど“脆弱な環境”は組織として絶対に許容する事は出来ない。
何故なら、G-Laboのプロジェクトは、ガズさんや東映エージエンシーをはじめとして大勢が関わり、協力し合って進行しているものであるし、何より、工場には我々が責任を持って雇った、家族の生活を支えるために働いているスタッフ達がいるからだ。
それに、今回の短期間での改革が意味するところは、改善・改革は決して時間の問題ではないという事で、要は“やり方”の問題だという事だ。
この点において言うならば、敢えて今断言するならば、川上にしか出来ない作業を川上が一人で抱えこむというやり方は、言うまでもなく、間違いで、大きな失敗であった。
そうした本人の判断は、その時なりの最善を考えた末のものであるので、決して責めはしないが、結果として体を壊してしまい、戦線を他に委ね、工場全体の生産性が脅かされる事態になる様では、いくらその行動に本人なりの責任感や心意気があったとしても、本末転倒極まりない。
また、仮に体をなんとか壊さずにそのままそのやり方で続けていたとしても、工場の成長はおろか、安定的な生産は一向に見込めなかったであろう。
ただ、川上自身も、改善が進んだこの数週間において、自分の中の“内なる戦い”で精一杯であっただろう事は、遠距離であっても、良くわかっていたつもりだ。
だからこそ今回はトップダウンで大鉈を振るい、“箱の在り方”の根本を容赦無く書き換える事に徹する事にしたというわけだ。
本来であれば、川上と相談を重ね、必要であればダイレクトに指導、指示しながら進めるべきであったかもしれないが、上述の様な背景があり、復活を待つ余裕どころか、躊躇する余裕さえなかったために、覚悟を持ち最優先で目的の遂行に容赦なく当たる事にした。
平たく言えば、“改革のスピード“をなりふり振り構わず最重要視したというわけだ。
そうして今、いよいよその改革の成果が着実に現れ始めたというわけなのである。
そうなるとここで重要なのは、「川上がいつ復活し、新しい組織の中に、どういう立ち位置と役割を持って戻るのか?」という事だ。
ここで重要なのは、改革はまだ半ばであるのだが、この改革が完結するまでに、“改革者側の一員”として、明確に関われるかどうかであり、その誇るべき圧倒的なセンスを持って、どう存在を指し示せるかである。
そして、川上復活の鍵を握るのは他でもない、職場において誰よりも彼の体を気遣い、一番間近でその浮き沈みの全てを見てきた“淡路”である。
そして、彼のとった行動が、川上に、少しずつだが大きな変化をもたらしていく事となる。
次回
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