新たな手練れ職人の紹介を依頼されたゴックさんだったが、彼は思い当たる人が数人いたようで、直ぐに連絡を取ってくれた。そして、明日にもその返答がもらえるだろうという事だった。
これは期待せずにはいられない。丁度そのようなタイミングで、兼松によって作成された今後の製造スケジュールが挙がってきた。
当然だが、相当シビアなものだった。川上の不調が考慮されているだけでなく、これまでなおざりとなっていた、治具の改善や機械の導入、更には計画的な職人への技術教育などが盛り込まれているのだから仕方ないところだ。
しかし現状、不安定な川上にしかできない作業の穴を埋められるのは、ゴックさん一人しかいない状況だ。
私は、スケジュールの事を想像する度に、安全マージンをしっかり確保するためにも、“更なる手練れ職人”の増員がますます必要だと痛感していた。
ところが、兼松より、期待していたゴックさんからの紹介は、非常に残念な事に、断りの連絡を受けてしまったという報告が入った。
ゴックさんの元同僚も既に新しい職場が決まってしまっているという事だった。
ゴックさんの登場により、兼松の立てた予定に従えば、問題は都度起こるだろうが、前進はできるだろうし、様々な改善も徐々には進んでいくだろう。
川上の不調が始まって、まだ数日といったところだったが、兼松や淡路の奮闘もあり、短い期間で随分工場の問題がクリアとなり、指揮系統も明確さを増してきた様にも見受けられる。
抽象的な表現で恐縮だが、頭が機能し、工場全体にようやく神経が通い始めた様なイメージだ。
しかし、大災害の後、ただ街を強固に改善し、作り直すだけではダメだ。それでは、想定以上の未曾有の事態には対応しきれないかもしれない。
街を強固に作り直すと同時にやらねばならない事がある。それは、“危機感”、”危機意識”の共有だ。
私にとってこのタイミングでの急ピッチな“手練れ職人”の増員には切実な思いがある。
もちろん、企業として、“安定した生産性”、“期待の持てる成長性”を確保したいというのもあるが、最も大切なのは、一刻も早く、川上が不要な無理をしなくても回る環境を構築する事だ。
これには、川上自身の“工場長”としての仕事に対する「スタンス」の問題と、企業としての「環境配備」の問題の二つがあると思っているが、少なくとも後者は直ぐに改善できるし、先んじて後者の改善を経れば、前者に対しても、口で言うより遥かに伝わるものがあるだろうし、物理的に救う事ができると断言できる。
余談だが、セコい話で恥ずかしいのだが、私は歯磨き粉のチューブをギリギリまで絞り出す事が好きだ。マヨネーズやケチャップのチューブも同じだ。最終的にハサミでカットして、スプーンでこそぎ取って使うところまでやる事もある。
言いたいのは、とにかく諦めが悪いと言う事だ。
これまでの工場における求人経験からはっきり分かった事は、即物的に即戦力となる腕の良い職人を探すのであれば、「縁故」こそが最も有効であるという事だ。
だから、本当にギリギリまで、縁を手繰る必要がある。そして、ギリギリまで手繰るためには、こちらの切実さを真摯に伝えなければならない。
ただ増員したいわけでなく、“渇望”しているという事を。
この切実な思いを改めて伝えるべき相手は二人いる。工場のベテランコンビであるロンさんとゴックさんだ。
彼らの楽器製作における長い歴史で培った人脈こそがまさに今求められる“解”の埋もれているであろう鉱脈に他ならないと確信していた。
そして、兼松より、再度切実な思いと併せて、新たな職人探しを依頼してみたところ、思わぬ“素晴らしいレスポンス”を得る事となる。
次回
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