組織の中で上に立つ者の存在は、“良くも悪くも”本人の想像以上に組織全体に影響を与えるものだ。
以前にも書いたかも知れないが、私は過去に二度ほど、自社が転覆しかけるような大ピンチに陥った事がある。
いずれのピンチでも倒産に至らずに済んだのは、ただ単に運がよかったという事もあったのかも知れないが、“会社として”ギリギリまで、いや、ギリギリアウトなラインを完全に超えても、諦めず足掻き続けたからだ。
“会社として”というところが非常に重要で、何故ならば、ピンチの中で実際に逆転に臨むスタッフ達の心が折れてしまえば、足掻き続ける事など出来ないし、好転の機会を逃さず捕まえる事など決してできないからだ。
金銭面など、綺麗事では片付けられない物理的で深刻な問題も多々あったのだが、それでもスタッフ達の心が折れずに保っていられた一番の理由は、経営者である私が一番諦めが悪く、“絶対に折れなかった”からだ。
とは言え、ここだけの話、いずれの場合も当時は毎晩不安で眠れないかった。心が耐えきれず、生命保険の計算もした。おそらく、気が狂う一歩手前まで軽く行っていたと思う。
だが、”折れない自分”に付き合ってくれるスタッフ達に背を向けるような事は決して出来なかったし、まだ若かった事もあり、「そうなる位なら死んだ方がマシ」とさえ思って、金策に営業にと我武者羅に頑張った。
それに、私は誰よりも負けず嫌いな性格なので、そう素直に負けを認められないという性分によるものもあったと思う。
こうした経験から学んだ事は無数にあるが、その中でも一番の教訓は、私は「一人では何も出来ない人間である」という事実であり、仕事を成すためには「仲間を頼る必要がある」という事だ。
それまで私は、経営の悩みを抱える度に、「経営者とは孤独な生き物だ」と実感していたが、それは、正しいが間違っていた。
誰にも相談出来ないような悩みを抱える事は、確かにある。
そういう意味では経営者は孤独だとも確かに言えるが、その抱える悩みというのは紐解けば大抵、自分が「孤独ではなく、仲間がいる」からこその悩みであって、それならば「強くあらねばならない」し、その覚悟があれば自分を騙してでも「強くなれる」という事だ。
抽象的な話で恐縮だが、孤独な「一」であると思っていた自分は、「全」に繋がる「一部」であった。
実際には、「一」ではなく、「全の”一”部」であったという話だ。
体調を崩し続け、満足に出勤すら出来なかった川上に私が本当に伝えたかった事はそんな話だったのかも知れないが、満身創痍であろう川上に対して、今このタイミングでそんな理想論を押し付ける気は毛頭なかった。
故に、工場のトップである彼にその時私が伝えたのは、たった二つの事だった。
一つは休み休みでも構わないから、工場が前に進むための要点に当たる仕事だけは抑えて欲しいという要望。
そしてもう1つは、川上の事を皆が心配し続けてはいるが、それと同時に、工場全体に不安が募り始め、今後の対処に真剣に困り始めているという事実だ。
それは帰宅後の川上に対しての、20分程度の電話でのやり取りだった。
川上はと言うと、言葉では理解を示していたものの、途中ちょっとしたトラブルが入ってしまった事もあり、残念ながら確信に至る前に会話は終了してしまった。
そして、些かの不安を抱えながらも迎えた翌日、川上は出社し、その日から彼の早退はなくなった。
次回
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