神がかったタイミングで採用が決まった手練れ職人である「ゴックさん」には、面接の翌々日から早速作業に参加してもらう事となった。
彼の腕前は想像以上に素晴らしく、30年に及ぶウクレレ職人としての経験は伊達ではなく、その技術は紛れもない本物だった。
また、ロンさんほどではないが、他のスタッフと比べれば充分年配で非常に落ち着いており、入社早々から若輩スタッフへの面倒見も良い。
彼が非常に頼れる存在だという事を、スタッフの誰もが直ぐに実感していた。
彼の登場により、現場環境は大きく変わっていくのだが、まず変化が生まれたのは、「教育」に関する事だ。
これまで、川上の多忙や、言葉の壁という理由もあり、突き詰めた技術教育を行うにはなかなか高いハードルを感じていたのだが、ゴックさんの登場により、ヤンさんやデニーさんなどの若手職人が、わからない事を先輩職人であるゴックさんに“とことん聞ける”という環境が自然と出来上がっていった。
後日、淡路から教育風景の写真が私の元へ送られてきたが、それは、紛れもなく、私が思い描く理想的な「師と弟子」のイメージそのものであった。
淡路の話によれば、若手からの質問も、それに答えるゴックさんも、双方非常に熱心であり、ゴックさんの教育の腕前は素晴らしいという事だった。
また、川上からのゴックさんに対する評価ももちろん高く、これまで川上にしかできなかった作業の一つを早速担い、問題無く任せる事ができたという事や、ウクレレ製作に使用する手製の道具である「治具」の改善などに関しては、川上とゴックさんの話し合いの末、ゴックさんの意見が採用される様な場面もあったという報告を聞いている。
完成された職人が一人増えた事により、川上にとって“職人同士の共通言語”で会話できるというのは、間違いなく彼にとって、今後の大きな支えになると私は感じていた。
ゴックさんの登場により、ついに改善に向けた第一歩を歩み始めたかに見えた工場であったが、その長である川上は、それでもまだ回復の兆しを見せる事はなかった。
組織においては、ポジティブが広がるより、遥かにネガティブが蔓延しやすい。
川上は体調を理由に早退を繰り返す毎日が続いていたが、それにより、兼松によるタスクのまとめや、業務改善において必須となる機械の導入に向けた開発企業との打合せ、また外注先との打合せが、全てペンディングとなってしまっていた。
それらがこのまま遅れ続けてしまえば、当善に改善を完結させる事はできない。
しかし、弱っている川上を前にしては兼松も淡路もストレートに頼る事ができず、思うように進められない現状に困り果て、やきもきした状況が続いてしまっていたのだ。
このままではいけない。そう思い、私は早退した川上に連絡をとり、伝えるべき事を伝える事にした。
次回
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