今回の訪越の際に、残念ながら達成できなかった事が二つあった。
一つは、仕事に問題があるとされていた“サンさん”との面談だ。
私の滞在期間中、彼は体調が悪いという事で全日病欠勤だったのだ。
しかし、他のスタッフから彼の話を聞いたところ、やはりあまり良い評判ではなかった。
仕事そのものに関してあまりやる気が感じられない様で、何度説明を受けても同じミスを繰り返し、彼が作業に参加する事により、ミスのリカバーに時間が掛かってしまい、むしろ大幅なロスが生じてしまうというのだ。
最も問題なのは、既に“そういう人”というレッテルが貼られている状況が、社内に浸透しきっていたという事である。
こうなってしまうと、陰湿な人間など一人もいなかったとしても、スタッフ間に目に見えない壁が生じてしまい、狭い、工場内という“小さな社会”の中で、彼が孤立してしまう事は容易に想像できる。
職場というのは、学生時代のクラスと同様に、狭い空間の中で、図らずとも勝手にコミュニティが形成される。
怖いのは、そのコミュニティーの内側にいる人間は、その小さな社会を“世界の全て”と感じてしまう事だ。
そして、その中で一度ネガティブな立場に陥ってしまうと、外の世界は圧倒的に広いはずなのに、世界の全てを敵に回した様な孤独感に襲われてしまう事もある。
つまり、本人の仕事の良し悪しはともかく、”村八分にされた”と錯覚してしまうわけだ。
実際には悪者はどこにもいないのだが、こういう現象はどこでも起こり得る事で、とても恐ろしいし、私が最も嫌う環境だ。
そして、こういう事態を未然に防ぐ、もしくは既にそうなってしまった環境を再生するためには、“明確な仕切り直し”が必要となる。
組織を作る中で、最も大事なのは、軸となる「筋・骨」つまり、「道理」であると私は考えている。
これが通っていなければ、トップがどれだけの権力を持っていようとも、人が増えれば増えるほど、組織は必ず弱体化する。
故に、もし組織の長が部下の仕事の良し悪しを判断しようとするのであれば、誰もが納得できる“合理的な筋”に従って、“人事を尽くした”と言い切れるほど会話を重ねた上で見極めるというのが、本来の私の流儀なのだ。
しかし、残念ながら、私の滞在期間中にサンさんとの面談が叶わなかったため、このミッションは川上と兼松に主旨を説明して託す事とした。
後日、川上によってサンさんとの面談が執り行われたが、そこで川上は初めて、サンさんの心情を知る事となった。
サンさんとしてはそもそも、実際にやってみた工場での仕事と、想像していた仕事にかなりの乖離があり、それに思うところがあったという事だった。
彼の弁によれば、ウクレレの製作技術や木工の深い部分を学びたいという気持ちはそもそもなく、とにかく、誰でもできる様な単純な作業を淡々と続けていたいのだという事だった。
しかし、そうした仕事は当然にここには無いし、我々の望むところでもない。
川上は改めて、我々が求める”サンさんの仕事”について話をし、彼にどうあって欲しいのかについて、具体的に説明をした。
サンさんも、その話の主旨については理解できた様だ。
そして、双方合意の上、こちら側の求める仕事に彼が取り組めるかどうか、数日間チャレンジしてみるという話となったのである。
しかし、結果的にはその半ばにして、サンさんからのギブアップの言葉を受け、かくして彼は退職する事となったのだ。
そもそもの面接や人事の計画自体にもちろん問題はあっただろうし、こうした話合いをもっと早くに持たせるべきであったに違いないが、今更“たられば”の話をしても仕方がない。
組織における人との出会いもまた、常に一期一会なのだから。
いずれにしても、他の様々なトラブルの渦中にあったはいえ、これまでそうした話や指示が出せなかったのは私自身の失敗だ。
2度と同じ轍を踏まない様、こうしたミスの苦い味や痛みは決して忘れてはならないのである。
\ R A N K I N G /
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